3月9日、そして11日

 BLOGあんでぃの開発奮闘記・・・時々メグ

今日は3月9日ですね。

鎮魂の日、3月11日まであと2日です。

以前のブログ記事(想いと願い http://www.unihabitat.jp/blog/2014-12-15/
でも書きましたが、宮城県出身の私は4年前の3月9日、そして11日は仙台市内の
オフィスにいました。
今日はその時とその後のことをもう少しだけ詳しく書きたいと思います。

【3月9日】
その日もいつも通り、当時勤めていた会社のオフィスで仕事をしていました。
ちょうど昼前で、お腹すいたなぁなんて思いながらパソコンに向かっていた時に、
大きな地震が来たことを覚えています。
日頃から避難訓練をやっていたので、揺れた時は「ついに宮城県沖地震が来た!」
という感じでみんな速やかにデスクの下に潜り、扉近くの席の子は、電子ロックが
かかる扉を開けて、避難退路を作るという行動に出ることが出来ました。
この時は停電も津波もなく、日頃から多少の地震には慣れていたので、今回は
ちょっと大きかったけど特に何事もなかったね、ってことで、この時気持ちに
慢心が生まれていたかもしれません。

【3月11日】
14時46分。その時も私はいつもと同じようにパソコンに向かって仕事をしていました。
最初にグラッと来た時は、「また?一昨日と同じくらいか?」という感じで、周りの
同僚と「やだねぇ」なんて話をしていました。
扉近くの子も、9日と同様に速やかに避難退路を作り、他の同僚も皆デスク下に潜りました。

ところが、揺れがどんどん大きくなる。弱まるか?と思ったらまた強く揺れる、いつもの
地震とは全く違う揺れ方で、オフィス内からはあちこちから怯えた悲鳴が聞こえ始めました。

私は、これは一昨日とは何か違う、見届けたい。という気持ちが先に出て、デスクの
下には潜らずにオフィス内の様子をなぜかとても冷静な気持ちで見ていました。

とても立っていられないような強い揺れだったので、まず扉が閉まらないように
支えながらうずくまっていた同僚を、扉よりも自分の身を守るようにデスク下へ移動するよう
声をかけました。
歩けるような揺れではなかったので、その同僚が這いつくばりながら近くのデスク下へ
無事に潜り込むのを見届けました。

そうする内に、オフィス内がポルターガイストのように物が飛び交い始めました。
私が使っていた17インチの液晶画面は、あっと思った瞬間には向かいの席の子の向こう側に
スライドして飛んでいき、キャビネットに当たって落ちました。

ラックに設置されていた重たいサーバーも、真横に吹っ飛んでいくのが見えました。

キャビネットの扉が開いて、いつも重い思いをしながら取り出していたファイル群が
バンバン飛び出してきました。

天井板が外れて照明がブラブラし始めた時に、そろそろマズイな、と私もデスクの下に潜りました。

デスクの下に潜ってからも、書類がいっぱいで重たいはずの一番下の引き出しや、
頭の上部分にある引き出しがバンバン揺れに合わせて出たり入ったりするので、両手で
それを押さえながら揺れが治まるのを待ちましたが、何度も大きな揺り返しがあり、
このまま日本が沈むのかな・・・なんて、映画のようなことを感じたのをよく覚えています。

わずか数分(それでも地震としては記録的に長い時間)のことでしたが、今でもとてもとても
長かったと感じるくらい、強烈な記憶が刻み込まれました。

【その後】
その後襲った津波の被害については、皆さん報道でよく知っていることと思います。
その時、津波被害にあわずに済んだ内陸側の私達は、一体どのような状況だったのか・・・。

地震直後から停電が発生し、携帯の電波も繋がらなくなり、情報難民となりました。
ラジオで津波の報道は聞いていましたが、百聞は一見にしかずとはよく言ったもので、
数日後に復活した電気でやっとテレビを見た時に、その被害の規模を知り旋律が走りました。
電気がついた瞬間は近くの小学校に水を汲みに行った帰り道で、街灯と信号が灯ったことで
気が付きました。電気のありがたさを思い知りました。

公共交通機関がストップしたので、帰宅難民が生まれました。
11日は会社の方の車に同乗させてもらえましたが、それでも家族の元に帰れたのは
夜8時をまわっていました。
その後もJRの復旧に時間がかかったため、移動は主に車と自転車を強いられました。
しかしすぐにガソリンがなくなり、ガソリンスタンドには長蛇の列が出来るようになりました。
明日どこそこのガソリンスタンドにタンクローリーが来る、と噂が流れると、そこに
前日から並ぶ車がたくさん出来ました。並んでいる間、ガソリンを節約するため練炭で暖を
とった方たちが一酸化炭素中毒で亡くなったという悲しいニュースは、数え切れないくらい
聞きました。

水が出ないので、給水車に長蛇の列が出来ました。
食器はラップをかけて使い、それでも汚れたら垢の浮いたお風呂の残り湯で洗いました。
震災直後から2週間以上お風呂に入れていない、という人はざらでした。
特に都市ガスは復旧が遅れたため、自宅で長期間に渡りお風呂に入れない人がたくさん出ました。
下水の被害がひどかったため、トイレの水はなるべく流さないようにとの連絡も回ってきました。

家に赤紙が貼られ、建て直しを余儀なくされました。
我家の場合は崩れはしなかったものの基礎がぱっくりと割れ、大規模半壊扱いで
これ以上住むのは危険と玄関に赤い紙が貼られました。
これに伴い、メグと住めるところを探すことになりました。
ペットと避難することの大変さを思い知りました。

生鮮野菜やお肉、お菓子といったものの有り難み。
救援物資など、人の優しさをたくさん知りました。
すぐに職場立て直しに戻った私は配給やスーパーに並ぶ時間がなく、家族や友人が運んでくれる
物資で生活出来ました。

震災後ずっと連絡が取れなかった友人とそのご家族が1か月後に見つかりました。
9日の地震で津波がなかったことから、避難に遅れが出たのではないかとのことでした。
火葬場に向かいましたが、変わり果てた姿に直接お別れを言うことは、私には出来ませんでした。

まだまだ書き足りませんが、以上が私が体験し、見聞きした2011年3月9日と11日とその後です。
あれから4年ですが、今もまだ「その後」は続いていると感じます。

しつこいようですが、今日も「災害時に備えたペットのための準備」を下記にリンクさせて
いただきます。
東日本大震災を体験した私に出来る、小さな小さな1つのことです。

http://www.unihabitat.jp/tips/disaster/

ということで、文章だけの長文ブログ記事、大変失礼しました!
来週からはまた画像いっぱいでお届けします!!
最後までお読みいただきありがとうございましたm(_ _)m


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